2012年6月6日水曜日

鞘木刀作り直し その4

表面は共用紙ではなく書道の練習用半紙を使う。貼る要領は同じ。表面が滑らかになるように注意しながら貼る。糊は水にといた方が貼りやすいが水分が多すぎると最後に塗料を塗った時にシワになってしまうようだ。 三重ほど巻いて自然乾燥させた後塗装する。  塗料はアクリル絵の具に木工ボンドを混ぜたものを使う。水を加えると伸びて塗りやすいがこれもあまり水分が多くない方が仕上りがキレイになるようだ。 乾燥させながら三度塗り。最後に100円ショップで売っている車用のクリヤースプレーを吹く。吹かなくても良いが色落ちを防いだり屋外での演武で急な雨に濡れた時のことを考えると吹いた方が良い。ツヤが出て安っぽくなるが表面が滑らかに仕上がっていればさほど目立たない。
 
 
 
今回はちょうど愛刀の柄糸に近い色のリボンが入手できたので柄巻もやり直した。3.5mで700円程度。他の材料は全て100円ショップなので、木刀本体を除けば最も高価な材料は柄糸であった。
 
 
 
下げ緒は家にあった紐をくくりつけ、以上で完成。今回は製作期間二ヶ月ほど。予定の半分ほどで出来た。

2012年5月29日火曜日

鞘木刀作り直し その3

紙粘土にて栗型作成。今回は模擬刀の栗型から雌型を作って作成してみた。これを糊付け。
 コジリは作成途中の鞘の先端付近にラップを巻き、その上から3センチ程度の幅で共用紙を巻いて作成したものを鞘の先端に糊付け。乾いたら中に紙粘土を詰める。
 鯉口から栗型までの部分とコジリの部分が若干分厚くなるので、その間の細い部分は蛸糸巻き。前回作成のものと同じく木工ボンドを塗りつけながら巻いたところで今回の作業終了。
 あとは仕上げと塗装のみ。

鞘木刀作り直し その2

GWを利用して作業を進める。共用紙は前回より安いものを使ったせいか結局10巻くらい巻くことに。ゴム製ハバキと同じくらいの厚さになったところで鯉口を作成。5重ほど巻く。

今後の予定としては、

1 栗型作成
2 コジリ作成
3 蛸糸巻き
4 再度共用紙
5 塗装&仕上げ

…進まないなぁ。


鞘木刀作り直し

共用紙+デンプンのり、蛸糸、木工ボンド、胡粉、石粉粘土、クリアースプレーの予定。
柄巻は、手ごろなリボンが入手できたら巻きなおし。

今回は共用紙を5重くらい巻いた後、鯉口作成→蛸糸巻き にしてみようかと。

写真は共用紙2重の状態。ほとんど作業時間が取れないので、ここまで来るのに一週間以上。さて、今回は何ヶ月かかることやら…。

2011年8月2日火曜日

生鉄仏 崔道成

第六回に登場する盗賊。五台山を追放されて東京へと向かう魯智深は、その途上で打虎将の李忠と再会するが、李忠やその山賊仲間の小覇王の周通が意外に「みみっちい」男であることを知ると山塞を下りてしまう。しかしいくらか行ったところで腹が減り、「瓦罐寺」という破れ寺で食物をわけてもらおうとする。だが、この寺には骨と皮ばかりになった老僧が幾人かいるだけで、食べ物はないという。二人の盗賊が住み着いてしまって、官憲の取り締まりも届かないというのだ。この盗賊というのが、生鉄仏の崔道成である。もう一人は、飛天夜叉の丘小乙というエセ道人。

魯智深は無論、二人を退治して食物にありつこうとするが、この崔道成もさるものである。こちらは武器の用意もなく形勢不利と見るや言葉たくみに魯智深を騙して追い返す。再び魯智深がやってくると、今度は朴刀をもってまがりなりにも魯智深と渡り合うばかりか、二人がかりとはいえ魯智深を撃退するのである。結局は、逃げ出した魯智深が九紋竜の史進と偶然にも再会し、腹ごしらえを済ませて戻ってくると、腹一杯で元気な魯智深と超強力助っ人・史進の前にあっけなく敗れさるのだが。

何でまたこんな小悪党をここで取り上げたかというと、この場面、個人的に好きなのだ。魯智深は水滸伝の好漢たちの中でも非常に人気が高く、作品を代表する豪傑であると言ってもよい。これがもし『三国志』なら、同じ立場にあるのは恐らく関羽だろう。ところがこの二人、強いという以外全く似ていない。無論関羽だって負けることはあるだろうが、その時関羽はなんと言うだろうか。「無念であるが多勢に無勢、ここは一旦退くべし」てな感じか。少なくとも「こいつぁいけねえ、三十六計逃ぐるに如かずだ。すきっ腹を抱えて二人相手じゃあ勝ち目はねえや」とは言わないだろう。しかも助っ人として登場する史進は、こともあろうに追いはぎとして魯智深を狙うのだ。切り結ぶうちに気付いて「やや、魯達どのではないか」「おう、お主は九紋竜・・・」ということになるわけだが、乞食坊主と追いはぎの組み合わせでは何ともなさけない。読者としては微笑ましい限りである。もちろん、当人たちにとっては死活問題なわけだが・・・。

『水滸伝』の面白さを象徴する場面、といったら言い過ぎだろうか?

2011年8月1日月曜日

智真長老

第四回に登場する、五台山文殊院の長老。第三回で鄭屠を殴り殺して渭州を抜け出した魯達は、代州雁門県で歌うたいの金親子と再会する。娘の金翠蓮が、土地の有力者である趙員外の妾となっていたので、魯達もそこにかくまわれることになったのである。趙員外魯達に出家を勧める。出家とは俗世とのつながりを断つことだから、犯した罪も赦されるのである。また免税の対象にもなるため希望者は多く、普通はなかなか出家は許されない。しかし、幸い趙員外は「出家許可証」ともいうべき「五花度牒」を、大金をはたいて購入していた。自分の代わりに誰かを出家させて、これをもって功徳を積んだことにする金持ちが多かったのである。

そんな次第で魯達が向かったのが、趙員外が先代から多くの喜捨をしている五台山文殊院であった。その山をとりしきるのが、この智真長老である。首座や監寺などが魯達の人相風体の悪いのを見て、その入山に反対する中、長老一人は入山を許すばかりか「智深」という自らの名から一字を取った法名を与える。更に、魯智深が禁酒の戒律を破った挙句大暴れをした際にも、これをかばう。流石に二度目はかばいきれずに追放を認めるが、この時も魯智深の未来を予言した四句の偈を送ったうえ、身の落ちつけ先まで面倒をみてやるのだ。

これらの行動は、魯智深が108の宿星の一人であることを知ってのこと、ということになっている。また、酒に酔って誰にも止めようのない魯智深を一喝で黙らせるシーンなどは、相当の人物であることを窺わせる。ところが、魯智深の追放を訴える首座に対する言葉を見ると、「何を言うか、趙檀越の手前もあるぞ!」と俗っぽい。また、魯智深を追放するにあたっても、弟弟子である東京大相国寺の智清禅師におしつける。智真長老のほうが立場が強いわけだから、智清禅師としては断ることもできず、全く迷惑千万な話であるはず。そう考えると、評価の難しい人物かもしれないが、その辺はまあ、気にしない、気にしない・・・。

2011年7月26日火曜日

鎮関西・鄭屠

第三回に登場する、渭州の肉屋。九紋竜の史進・提轄の魯達(後に花和尚の魯智深)・打虎将の李忠が意気投合し、酒場で一杯やっていると、となりの部屋からすすり泣きが聞こえてくる。気分を害した魯達が泣いている歌うたいの親子を呼びつけて事情を聞くと、「鄭の大旦那」に騙されて大きな借金をでっちあげられてしまい、その取り立ての厳しさにつらくなって泣いていたのだという。こうなると黙っていられないのが好漢の好漢たる由縁であって、魯達は「鄭の大旦那」鄭屠を懲らしめるつもりで殴り殺してしまう。この事件によって魯達は坊主に身を変えて法名を智深とし、「花和尚の魯智深」と呼ばれるようになるわけだ。

さて肝心の鄭屠である。作中では「鄭の大旦那」などと呼ばれ、あだ名も「鎮関西」というたいそうなものである。魯達などは「ブタ殺しの鄭か」などと侮っているが、実は結構な顔役だったのかもしれない。水滸伝に登場する人物のあだ名は、人からつけられたものと自分で名乗ったものがあるが、仮に自分で名乗ったにせよこれ程大袈裟なあだ名を名乗るからにはやはり自信があったのだろう。その自信も、魯達の拳三発であっけなく叩き潰されてしまうわけだが。

今でこそ水滸伝は百回・百二十回本まで読むべきであるとされているが、以前は七十回本のほうが人気があった。理由は、七十回までとそれ以降で、作者の文章力があきらかに違うというもの。通俗小説が複数の作者の手になるのは普通のことなのでこれは不自然なことではないのだが、この魯達の拳三発の場面はそれが最も良く現れている場面の一つだろう。ほとんどあらすじの箇条書きに近い七十一回以降と比較して、決して上品とは言えないものの、非常に生き生きとした表現が用いられている。ただし、食事中に読むのは避けたほうがいいかも。